おはようございます。
1月17日です。
阪神淡路大震災犠牲者追悼、
復興祈念の日です。
あれから29年。
未だにこの時期になると、
眠れなくなったり、
身体の調子が悪くなる人も
いるかもしれないです。
私も震災後、数年間は、
この日の前日は眠れなかったり、
5時45分ごろに目が覚めたり、
していました。
癒えない悲しみや
寂しさとともに
いらっしゃる方も
いると思います。
街は復興しましたが、
本当には復興できていない
部分もあるかもしれません。
そうこうしていたら、
今年の元旦に、
能登の大震災がありました。
悲しみを呼び起こさずに
いられない気がします。
そして、
新たな痛みを
感じているという
ところかもしれません。
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カードは、ソードの3です。
誰のせいでもない心の痛みを抱える。
それを否定する必要もなく、
無理に平気でいる必要もない
ということに、
なりますでしょうか。
自分だけではなく、
だれかのそれを理解する。
この世界では、
時々理不尽なことが
起こります。
人間だけが
一番偉いのでも
ないので、
人間に都合の悪いことが
起こります。
それは、自然から見たら、
必然のことだったかもしれません。
でも、
人間にとっては、
予期せぬ喪失を生む
出来事が起こるようです。
だれのせいでもないのだけれど。
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阪神大震災、
ちょっと思い出しました。
震災前日に友人が来ていましたが、
高速道路が落ちる?
ような不安があって、
車で送ってあげられませんでした。
震災当日、
私は、直前まで
眠れませんでした。
で、やっと眠ったら
凄い揺れでした。
悲鳴を上げました。
そんなに揺れたのに、
家は、若干のヒビぐらいで
済みました。
家が倒壊した方は、
どれほど怖かったでしょうか。
すぐにお風呂に水を張って、
ご飯を炊いておむすびを
作り、避難リュックを用意しました。
緊張した父母が、
おむすびを片っ端から
食べました。
それにはちょっと笑えました。
そのうちお水が出なくなりました。
震災から数日後に出勤しました。
何時間もかけて
通勤していました。
一週間後ぐらいでしょうか、
いつ到着するとも
分からない臨時バスで、
中島みゆきさんの
「時代」が
かかっていて、
大泣きしたことを
覚えています。
職場が避難所だったので、
数週間で,
疲労もピークで、
崩壊した街を見ながら、
泣きながら帰った
こともありました。
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ご家族や友人を
亡くされた方は、
どれほどの落胆だったでしょう。
言葉を失います。
東北の大震災でも、
今回の震災でも同様に。
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さて、震災の教訓を生かすこと、
それも犠牲者の方への
追悼になるように思います。
現実問題、
生き抜くために、
災害に備えることは
とても大事だと思います。
南海トラフ地震が来る
確率は高いようですが、
様々に計算された
予測される被害、
それも大概すごいですが、
過去の主な災害は、
どれも想定外の
被害ではなかったでしょうか。
そう考えると、
南海トラフ地震か、
はたまた別の災害か、
私は、
そこも想定外の
大きな被害があるかもと、
考えます。
ですが、まずは、
身近な対策からしていくしか
ないですね。
私も私なりの備えとして、
好きだったマンションを
捨てて、
賃貸暮らしにしました。
よい場所にあって、
日当たりも眺めも
最高でしたが、
耐震性に疑問があったのです。
荷物も最低限に
減らしつつあります。
家にかかるお金は、
今の方が高いですが。。。
この家で、物質的なもので、
無くなって惜しいものは、
ほとんどありません。
そういう意味では、
最初に捨てると楽なのは、
執着心かもしれません。
私もまだまだ、
執着心ありますけどね。
ですが、生き抜くために必要なのは、
米、味噌、塩(梅干し)と、
思いなおすと、
気持ちが楽になります。
一方で、
もうそんなに生き長らえんでも
いいかなとも思っています。
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でも、生きています。
人は命があれば、
立ちあがれるように
思います。
阪神淡路大震災後も
街は復興してきました。
(長い間、復興はまだだという
お話は聴きましたが)
悲しみは、
大いに悲しむのが、
いいと思います。
でも、
しばらくしたら、
悲しみの中にも
希望は見いだせると
思いたいのです。
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震災で、二人の生徒を
亡くしました。
一人は、おとなしくて、
とても優しいこ。
今でいうイケメンでね。
夢がいっぱいあったと思います。
もっと話をしたかったです。
広い体育館に並べられた
多くのご遺体。
その中の一人として、
ひっそり眠っていました。
それが現実かどうかも
分からない対面でした。
今でも、笑顔が浮かびます。
もう一人は、鑑別所から
入学してきたやんちゃなこ。
この子は、度々通報されたり、
悪くて悪くてしょうがなかったけど、
最後は、弟さんをかばって
亡くなりました。
真っ当に生きたんだと思います。
夜の街で、
チンピラっぽい人と彼が
衝突しそうになった
ところに出くわして、
私が割って入ったら、
「なんや、このねえちゃん」
的な雰囲気になって、
逆に彼に
「俺の先生やから」と、
庇われました。
いいこだったんです。
忘れてないよ、ありがとう、
と声をかけます。
ふと思うと彼は、
潜在的に震災を予見し
無常を感じて、
人生暴れて生き抜いたいた
のかもしれません。
地震も津波も火災も、
人が生きた事実と
共に生きた記憶を奪うことは
できないのです。
今年もこの日が来ました。
残された拾った命なら、
ただただ、
生きていくのみです。
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悲しみを持ったままでも
否定せずに、
生きていけたらいいかなと
思います。
誰のせいでもないから。
犠牲者を追悼し、
能登の皆様の無事も祈ります。
今日もよい一日を。
・・・・
ちなみに、家に塩を多めに置いておくと、
災害時も災難に遭いにくいとのこと。
手作り味噌でもいいです。
試してみてもいいかも。
塩気は強力なパワーです。
合掌。